島根県立隠岐水産高校久見竹島資料館5 メートルほどの柱が与えられ12大関戦の勝者や活躍した人には、土俵の周囲に建てられた長さる。島の民家の軒先に長くて太い柱がつるしてあったら、かつて名力士を輩出した家の証である。古 典 相 撲 は、 隠 岐 に 暮 ら す人々、隠岐出身者など、隠岐に関わる全ての人々の絆を深める重要な機会となっている。2007(平成 19)年の第 13 回大会は、島根県立隠岐水産高等学校の創立百周年を記念して行われた。伝統ある隠岐水産高校にも、土俵の柱が飾られている。名力士を数多く輩出してきたのだ。現在、隠岐水産高校は、総合的な海洋教育を行う学校として注目されている。特に船員の輩出校としては、全国トップレベルの評価を受けている。同校では、「地域を愛し、地域に愛されつつ、未来を切り拓く海のスペシャリストの育成」を教育目標に掲げ、斬新な海洋教育を進めている。149 人が在学しているが、その内、89 人が県外の出身で、寄宿舎で共同生活を送っている。島という地域性を活かし、「海」に関わる周辺住民との関わりを大事にしながら、実地での海洋教育を進めているのである。古典相撲をはじめとした地域活動への参加、地域の水産物を使った加工品の製造などを進めている。また、同校では、海洋に関わる資格を積極的に取得させるとともに、国家資格でも高い合格率を誇る。特に船員資格において、優れた実績を残している。多くの学生は、1 級小型船舶操縦士、潜水士の資格を取得するほか、3 年間の高校生生活を終了し 5 級海技士の資格を取得した後、専攻科に進んだ学生は、3 級海技士の資格を取得し、さらに、2 級海技士、1 級海技士の筆記試験に挑戦し、見事合格を果たす学生も多い。その船員教育成果のため、全国から多くの船員を志す若年者が、同校への入学を希望しており、さらに多くの学生を受け入れるために寮の増築工事を行っている。卒業生は、本土に行き海洋関係の職種に就く者が多いが、島外出身者でも島に残り、島の社会に貢献する者も毎年、現れている。隠岐諸島は、日本人が行けない国境の島「竹島」に最も近い島である。かつて、隠岐の漁師たちは、竹島でアワビやサザエなどを獲っていた。第二次世界大戦の日本と連合国との講和条約であるサンフランシスコ平和条約では、竹島は日本の領土として認められていた。しかし、国際的なこの取り決 め に 不 満 を 持 っ た 韓 国 が、1952(昭和 27)年に武力占領し、以後、実効支配体制が続き、日本人の行けない島になってしまった。無論、日本国政府は、韓国に対し返還を要求しているが、韓国政府は竹島に「独島」という名をつけ、韓国領であるとして、日本の要求を無視し続けている。隠岐の島町では、島の西部にある久見地区に、「久見竹島資料館」を作り、日本固有の領土である竹島の存在を啓もうしている。竹島問題は、日韓問題の懸案事項であり、今後の日韓親善の大きな課題となる。隠 岐 は、 古 代 か ら 現 代 ま で、多様で歴史的な変遷のある島である。隠岐は、陸地の成り立ちと独自の生態系などを知ることができる「隠岐ユネスコ世界ジオパーク」となっている。ぜひ、隠岐を訪れ、隠岐の自然と歴史に触れてみて欲しい。
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