船員ほけんVol.740
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> ゜))) 彡 日本人と「マダイ」16おさかなマイスター認定№0083 田 口 成 子おさかなマイスター認定№0083 田 口 成 子料理研究家古くからタイ(マダイ)を食用としてきた日本人ですが、生食以外でも焼いたり、煮たりした形跡が遺跡からも見つかっています。タイは魚の中でも特に姿、色、形が優れていると思われ、日本人にとっては祝い膳に欠かせない魚です。ことわざの題材としても使われる諺で「腐っても鯛」は、優れた価値のあるものは傷んでもそれなりの価値がある例えです。実際にタイ類の肉は旨味成分のイノシン酸が分解されにくく、鮮度が低下しても味が落ちにくいです。「めでたい」と語呂合わせも良いですね。そのタイも魚類の中で第 1 位の評価を得たのは江戸時代からです。それ以前の室町時代まではコイが最高の魚でした。京の都は海から遠く、入手できる鮮度の良い魚は淡水魚であったので、その中でコイが好まれていました。中国文化の影響が強かった時代、コイは黄河の竜門を超えて竜になると崇められ、尊い魚でした。コイは人との付き合いが長い魚で琵琶湖周辺の生け簀や、池でも飼われています。ハレの日に大切な客のもてなしの料理として登場し、神社などに供える神饌としても選ばれていました。端午の行事が男児の祝いに鯉のぼりを揚げるのは、登竜門を昇ったコイは出世願望を表す縁起物だからです。祭りの料理には刺身や筒煮(つつに)が作られ、ごちそうになる淡水魚の代表はコイだったのです。コイの洗いは薄く切った身を氷水にさらして、コリコリとした洗いに仕上げ、辛子酢味噌で食べます。正月にはコイの筒煮が定番で、端午の節供にも子供の成長を願う料理として筒煮で祝いました。こうしたコイも江戸時代にはタイへと変わり、特に干鯛(ヒダイ)はおめでたい時の贈り物とされました。干鯛はタイの内臓を取ってきれいに洗い、塩水につけて干したもので、マダイのほか、チダイ(ハナダイ)、キダイ(レンコダイ)も使われます。正月や婚礼など祝い事に欠かせないもので、伊勢神宮の神饌にもされています。江戸時代の 1785(天明 5)年には「鯛百珍料理秘密箱」というタイの専門の料理書も刊行されています。それ以前にも浜焼き、杉焼き、カマボコ、田楽、なます、すし、酒浸しなどに使われていました。特に酒浸しは刺身やひと塩した魚介類を、塩を加えた酒に浸しておくもので、冷蔵庫のなかった時代には腐敗を防ぐ目的もあったのでしょう。桜の花が咲くころの雌のマダイをサクラダイと呼びます。産卵期に入ると鮮やかな色彩に発色するので、このような呼び名がついています。またムギワラダイというのは産卵が終わり、麦の収穫頃のやや味が落ちるタイを言います。第 3 話魚を食べ続けたい私たち日本を代表する魚「マダイ」

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