船員ほけんVol.741
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10清水港落語家の春風亭昇太師匠は、テレビの人気番組「笑点」大喜利の司会を務めるとともに、落語芸術協会の会長である。また、日本の城郭に関する見識を持つことが知られる。昇太さんは、東海大学の客員教授に就任するも、現在は、中退していた東海大学に復学し、人文学部の学生でもある。静岡市清水区の出身である。昇太さんが城に興味を持ったのは、幼少期からだ。生まれ育った場所が、「二の丸」という地域で、昔の城の二の丸の敷地であった場所に住んでいたことから、その城について知りたくなったという。昇太さんの住んでいたのは、「江尻城(えじりじょう)」という戦国時代の城跡である。今は、石垣などの城の痕跡は無く、地名だけが残されている。永禄 11(1568)年、武田信玄は、今川領であった駿河侵攻を開始した。江尻城は、信玄の駿河支配 の 拠 点 と し て 永 禄 13(1570)年に武田氏の家臣である馬場信春により築城されている。江尻城代には、信玄の信頼厚い山県昌景(やまがたまさかげ)が着任し、駿河経営が委ねられた。信玄はこの地から駿河のみならず、三河、遠江(とおとうみ)の支配に乗り出そうと目論んでいた。江尻城は、東の北条、西の徳川に対峙する重要な役目をもった城であった。江尻城址は、清水港、JR 清水駅から 1 キロメートルほど西にある。 城 は、 東 西 400 メ ー ト ル、南北 260 メートル程の広い敷地を持つ巨大な城だったようだ。巴川という蛇行した川を活用し、城の周りを堀で囲んでいた。武田氏特有の「丸馬出(まるうまだし)」東海大学海洋学部教授山田 吉彦静岡市清水区の城

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